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人から頂いた言葉や、大切な言葉の保管場所。
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「無関心はやめてくれ
 もっと関心をもってくれ」

     マイケルジャクソンのアースソングより



愛の対極は、無関心だ、と言いますが。
愛には、愛が有る。
憎悪には、憎悪が有る。
無関心は、何も無い。
存在自体を認めていない状態。

「無関心はやめてくれ
 もっと関心をもってくれ」


あぁ、これは、本当に、魂の叫びです。




ところでこの頃、「所有」という考え方に
疑問を感じています。

お金を払ったから、自分のもの?
自分のものは、自分の好きなようにしても良い?

でも、ちょっと待って。
その物自体に、人間はお金を払っているの?
水や日光、資源や、大地。
自然(地球)の恩恵を得る時、
人間は地球に代金を払ってはいない。
もちろん、人間以外の全ての生物も。


人間たちが、「所有」という仕組みを採用しているから
それが常識っぽくなっているけれど、
実際は違っていたんじゃないかなあ。
本当は、自然の仕組みは、
地球のルールは、分かち合うものなんじゃないかなぁ。
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『ごめんなさい』
『許して下さい』
『ありがとう』
『愛しています』

   ホ・オポノポノの4つの言葉


何か問題が起こった時の、対処法。

自分の周りで起こる全ての事は、自分が引き寄せているという、
引き寄せの法則。
どんな事が起こったにせよ、
それは自分の中に同様の問題が有り、
自分自身が招いた事なのだから、全ては自分自身の責任。

まず、この事を自覚している事が大切です。

そして次に、その問題になっている出来事が、
自分のどの部分にあたるのか、探す作業に入ります。
全く同じじゃ、無いかもしれません。
でも、同じ様な感じ、同じ様な気持ちになるものが
自分の中に見えてきます。

そこで、上の4つの言葉を唱えるのです。
唱えると、じわじわと自分に染み渡っていくのを感じます。
すると、心が軽くなるのです。


今まで、心のクリーニングに苦労していました。
具体的な方法が分からなかったんです。

「問題を自分に見いだして、じっくり味わえ」

味わって、その後どうすれば良いか、分からなかったんです。

ゴミを見つけた。
でも、そのゴミをどうしたら良いか分からなかった。
あるいは、布にシミを見つけた。
見つけたけれど、シミ抜きの方法を知らなかった。
そんな感じでした。

だから、この言葉との出会いは、
掃除道具を手に入れた様な、
シミ抜きの手順や方法がやっと分かったような、
「これだったのか!」という感動でした。

これで、ようやく、
自分の欠点、心の掃除に取りかかっていけます。
私たちはチプコと呼ばれている
チプコはインド語で”抱きつく”という意味
私たちは木が切られないように木に抱きつく
木と共に切られてすでに200人が死んだ
今、あなたがたの国からたくさんの人が来て、たくさんの木を切り、
たくさんのダムを作ろうとしている
ダムができると森が沈み、私たちは生きていけない
このようなことが行われないために、私達10万人のチプコは水に沈む覚悟をした
よく聞いて欲しい
私たちは決して貧しくない、私たちは豊かだ
私たちは何も欲しくない、ダムも電気もお金も

あなた方は経済という宗教に取りつかれてしまった
神様はお金、儀式は開発、生けにえは地球
神様からの贈り物は飢えと公害と戦争
開発は自然を殺し、一時の富みをもたらすが永遠の生活と幸せを失う
私たちは開発ではなく、幸せを求めている
小さな土地と小さな水、そして小さな食べ物で十分なのだ
幸せはお城の中ではなく、自然の中にある
あなた方はどうして、そのあたり前のことを忘れてしまったのか
あなた方はどこに行くのか



10年来のガラクタを片付けていました。
その時出てきた資料の中で見つけた、チプコのメッセージ。


途上国開発の名のもとに行われた、大規模な環境破壊。
その土地の人々が望んでもいない事を、無理矢理行う、先進国。
開発で利益を得るのは、支援する側。
取り返しのつかない被害を被るのは、現地の人。
その上、莫大な借金すら背負わされるという、悲劇。

この『開発』は、日本の『途上国支援』が主に関わっていたそうです。


長い間、なぜか『途上国支援』という言葉に感じていた懐疑心。
その団体の募金活動に協力する気になれなかった理由を思い出しました。
文章自体はすっかり忘れていても、
現地に住んでいる人々の悲痛な叫びは、
心のどこかに残っているものなんだなぁ。


権力を持つ大きい者が、小さいものを食い物にするのは、
大なり小なり、身の回りで当たり前に起こっている事。
今は、それがますます激しく酷くなっている。

今までは、ただ泣き寝入りするだけだった。
でも、今は時代が変わっている。

よく、世界を弱肉強食に例えられるけれど、
草食動物だって、今はただ狩られるだけじゃない。
皆で向かって行って、逆に肉食獣を追い散らしている。
皆で力を合わせて立ち向かえば、襲われた仔を助けられる。

自分さえ良ければ、自分さえ助かれば、
そんなエゴな気持ちを捨ててしまえば、
相手が悪い、世の中が悪い、と
周りのせいにする気持ちを捨ててしまえば、
きっと、皆が住み良い世界になる。
『敬愛の まこと心に 
  まことのり まこと行う 人ぞ人なる。』



心に思う事、口に出す言葉、実際の行い。

言う事と、思う事と、行動の全てに、
尊敬する気持ち、愛する気持ち、
真実、感謝、幸せを祈る気持ちを込めていく。

3つが同じ状態でいると、とても心地いいんです。
びっくりするぐらい、嬉しくて、仕方が無くなるんです。
喜びがこみ上げてきて、幸せいっぱいになるんです。

料理を作っている時でも、掃除をしている時でも。
話をしている時でも、落ち葉を拾っている時でも。
ただ、座っている時でも。

小さい子どもの頃は、
たいてい、そのような状態だった覚えがあります。
人と比べず、本音と建前の使い分けを知らなかった頃。
ただ大好きな人に喜んでもらいたい思い。
単純で、皆大好きで、自分も大好きで、それで良かった頃。


でも、残念ながら、今の私では
沸き上がる喜びの時間は、長くは続きません。
真っ先にズレるのは、きっと心。
時間を気にしたり、取り越し苦労をしたりすると、
たちまち喜びが引いてしまいます。

何かの拍子にわき起こる、人を非難したくなる気持ち。
その度に見せつけられる、自分の克服すべき悪い癖。
これは、他人は関係ない事。
人も責めず、自分も責めない。
自分自身との、いわば戦い。


いつでも、心と言葉と行動が一致している、
幸せの湧き出る、その状態にいられるようになりたい。
『よきことは 人にゆづりて 
  人をほめ 人たてるこそ 人の人なる。』



譲る、褒める、立てる。
どれも、大切な事だと思います。

でも、簡単そうで、実際には難しい。

感謝を持ち、謙虚であり、ゆとりが無いと、
なかなか出来ないのかも知れません。


美味しい物を、我先に取るのではなく、余ったら頂く。
成功も、自分の手柄にしてしまうのではなく、
周りの人の頑張りがあったからこそと、思う。

褒める事だって、
口先だけのものだと、心を上っ滑りするだけ。
本心から褒めないと、心に響かないものです。

人を立てるには、傲慢であっては出来ません。
人に敬意を持って、自分は低くなっていなくては。


これらが出来ている人の側に行くと、とても心地良いです。
沢山の人に自然と慕われるのも、納得です。
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