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人から頂いた言葉や、大切な言葉の保管場所。
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『♪嬉しい 楽しい 幸せ 大好き 
  ありがとう ツイてる 愛してる♪』


『アルプス一万尺』の替え歌、『幸せ一万尺』



言葉の順番はちょっと違っていたかも。


辛い時、苦しい時、悲しい時、
イライラしている時、やりきれない時、
心の中で誰かを批判したり、
文句やぼやきや愚痴を言っている時。

そんな自分に気付いた時、
心をリセットするのに使っている替え歌。

心の中で歌うだけでも、
気持ちのリセットにはなるんですが、
口に出して歌うと、
本当にワクワクしてくるから、不思議です。
どんな気分の時でも、3回程歌ったら、
その後は楽しく歌えるようになってきます。

口にした通りの事が、
現実に起こってくるというのが、
言葉の魔法。
こんなにワクワクしてくる言葉の集まりって、
そう無いんじゃないかしら。
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『下腹からの怒は怒れ。胸からの怒は怒るなよ。』


日月神示から。



今まで混同していた『怒』ですけれど、
これを見て、怒にも色んな種類がある事に気がつきました。
確かに、怒りを感じている場所って、違っています。
これプラス、頭の怒もある気がしますが。

頭の怒りは問題外ですが、
観察してみると、怒りって、胸で感じている事が多いです。
今、私の場合、たいていの怒りは、胸からきているようです。
胸で感じる怒りは、感情的なものである気がします。
自己防衛だったり、相手に対する非難だったり、
視野の狭い、エゴイズムに通じる怒りなんじゃないかと。

一方、お腹の底からの怒りは、冷静で、揺るぎません。
感情とは全くかけ離れた種類のものだと思います。
「それだけは、してはいけないでしょう!」という、
人間としての根本的な、怒りというより、魂の叫びのように感じます。


胸で感じる怒りは、本来怒る事では無かったのか。
目からウロコが落ちた気分です。
『一日二食 腹八分で 言葉を慎めば 運が開ける』



どこで見つけた言葉だったか…「日月神示」関係の言葉(だったかと)。


とりあえず、現代人は食べ過ぎのようです。

なんでそんなに食べるようになったのか…。

現時点での私なりの考えですが、
肉食をしている上に、一物全体食をしていないからじゃないかしら。
命そのものを頂いていないから、
お腹いっぱい食べても、身体が飢餓状態になっているんじゃないかと。
それは、お菓子ばっかり食べてお腹いっぱいになっているような状態。

もっとも、現代栄養学とは違う立場での考え方なので、
あまり大きな声では言えないんですけれど。

私の実際に試した経験では、
有機無農薬である事が前提ですが、
玄米菜食プラス発酵食品(味噌、醤油)を食べるようにすれば、
一日二食、腹八分で充分生活できます。
むしろ、腹七分くらいが、身体が楽だった気もします。

今は崩れまくった食生活になってしまっていますが、
これからは、玄米菜食に戻って行かないと
生活が成り立たなくなってくるかも知れません。

今のうちに、身体を慣らして(戻して)おかないと…。


そして、「言葉を慎む」事。
これは本当に難しいです。

無知な者ほど、乏しい知識をひけらかすって、
源氏物語にも書かれていた様な。
聖書でも、言葉についての戒めは沢山書かれていたっけ。

何よりも始末に負えないのは、批判や悪口。
相手への批判は、そのまま自分への言葉なんだと知っているのに、
つい胸に浮かんでしまうので、我ながら手を焼いています。

相手への思いやりや理解があれば、
自分の意見を言う事はあっても、批判にはならないと思います。
本当は、なにもかも自分次第。
『羨望が無知であり、模倣が自殺であり、
 善かれ悪しかれ、与えられた自分自身を
 そのまま受け入れるべきであるということを
 誰しもが理解した時が、全ての人の内的成長の時である』

ラルフ・ウォルド・エマソンの言葉



そもそも、今現在の自分の状態は、
過去の自分の行いの積み重ねの結果。
あるいは、10年くらい経って、
はじめて気付ける事があるかも知れません。

人をうらやんだり、妬んだりするのは、時間の無駄。

人生は、自分自身の問題だと思います。
人と比べなければ、羨望など起こりえないと思うのです。


何かを身につける為に、模倣は簡単で便利です。
マニュアルが存在するのは、そのためかと思います。
無駄を省き、間違いのない平均レベルな結果を出す為。

ですが、ずっとそれだけだと、ロボットと同じ。
とくに感動も何もありません。

感性や価値観は、人それぞれ違います。
基本を知る為に、イイトコ取りするのは良いですが、
それに自分の特性を混じり合わせて、
より良いものにするのが、人間のあり方じゃないでしょうか。


個性を丸ごと、ありのままで受け入れる。

例えば料理。
食材は、それぞれ味や匂いや色や形や食感、
栄養やアクやクセなど違いがあります。

それぞれ旨味や栄養が違うからこそ、
素材の良さをうまく引き出す事で、
相乗効果により、より繊細で身体に染み渡る
美味しくて身体を健康にする料理を作る事が出来る。

ありのままをまず受け入れて、
不調和な部分は抑えつつ、個性を活かす方法をとる。

何にでも言える事だと思います。
『行きてゆくには、この"当たり前”が1番かけがえない。
 にもかかわらず、末席扱いするのである。』



なくてはならないものなのに、
当たり前だと思ってしまっている事って、多いです。

むしろ、何か不都合が起こって初めて、
それが当たり前などでは無かったと、
有り難みに気付けるのかも知れません。

健康である時は、存在すら意識しない身体。
ケガをしたり、体調を崩してはじめて
そこに臓器があった事、歯の存在、
目が見えるという事、手足が動くという事、
それらが当たり前に動いてくれていたからこそ
今まで生活が出来ていた事に気付いたりするのです。

そして、そういう時こそ、全てがそうなんじゃないかって、
気付くチャンスでもあるかもしれません。

自分を支えてくれている家族をはじめ、人間関係。
食物や、水、空気、太陽。
巡る季節。
命。

普段は意識すらしていないけれど、
本当は何もかも、有り難いもの。
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