忍者ブログ
人から頂いた言葉や、大切な言葉の保管場所。
3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『いちばん大事なのは、自分が実感してないことを
 知ったふりしないことだと思うの。無知の知よ。』


これもルナさんの本から。



知識を手に入れると、
「ふむふむ。なるほど」って思って、
なんとなく、自分が成長したような気になってきます。
本当は自分では実感できてもいないのに、
人にそのまま、他人の知識を他人の言葉で伝えてしまう…。

結果、情報が歪んでしまったり、
逆の意味になってしまったり、
わけが分からない事になってしまいます。

つい、やってしまう事だけど、
そういう事は、もう、しないようにしなくては。


こういう、本人がまだ納得していない言葉って、
聞いた時に、何か違和感があるものです。
なんだか、とってつけたような、そぐわない感じです。


『わからないことは「わからない」でいいのよ。』


知らなかったり、分からないことがあるのは、
別に恥ずかしいことではありません。
誰だって、何もかも全てを知っている人はいないのですから。

知ったその時から、自分なりに理解を深めていって、
自分の体験として実感していけばいいだけだと思います。


ちなみに、このブログには、
自分ではまだ実感できていない事も、
そのまま載せいてる事があります。

それらの言葉は、私なりの消化が出来ていなくって、まだ咀嚼中。
でも、忘れてしまいたくないので、
見つけた時に急いで載せたりしています。

一応、このブログは
「私のための言葉の倉庫」であるという事で、お見逃し下さい。
PR
愛は
大切にすること
愛は
心地いいことをすること
愛は
自然にあふれてくるもの
やらずにはいられない
そんな思いにかきたてられたら
人は動かずにはいられなくなる
そんな衝動的な思いが生まれたら
それは愛にほかならない
愛を経験した人は
愛を何千倍にも増やすことができる
ひとりの思いがどれだけの人に愛を目覚めさせることができるか
愛は教えることではない
愛はほっとくことでもない
愛はただ見守り
サポートし
育てていくことをする
ひとりの心に目覚めた愛は
地球を駆けめぐり
宇宙の果てまで変えてしまうことだってあるのだ
愛を受け継いだ人は
愛を成長させることができる
愛を知らない人々に受け渡すことができる
憎しみや悲しみで心がいっぱいの人の苦しみを
洗い流すことができる
ただ手をつなぐだけで
ただ見つめるだけで
ただ抱き締めてあげるだけで
融け出すこともあるのだ
愛を知りたい人は
見つめ合って
ただそれだけで
洗い流してくれる愛
自分から始めよう
自分を愛していこう
この世界にある悲惨な状態を愛で包みたかったら
まず自分から愛し始めよう
神が造りし子どもらの中に
自分も含まれているのだと強く自覚をしていこう
愛はこれから作るものではなく
すでにあなたの中にあるものなのだから


これは日木流奈さんの詩です。



昨日、愛ってなんだっけ?って考えていたら、
今のトイレ読書の本の中に、愛の詩を見つけました。

ご存知の方も多いでしょうが、ルナさんは、脳障害を持って生まれた方です。
この詩を書いたのは、9歳の頃でしたっけ。

この本を手に入れたのは、8年程前だったような。
さまざまな障害を持って生まれて来た方は、
障害を持っているということで、
理解されにくく誤解されている事が多いけれど、
私には全く感じる事が出来ない事を
感知する能力を持っているのだなぁ、と、思ったものです。


自分に利益があるわけでは無いけれど、
それでも、せずにはいられない…それが、愛。


一歩間違うと、押し付けになってしまうので、
愛と押し付けの見極め方もわきまえておかなくっては。

今の私なりの判断基準は、
「○○してあげる」とか、「与えている」という奢った気持ちが
ほんの少しでもあれば、それは、きっと、押し付け。
そんな時は、心の底で見返りを求めているんだと思うから。

もし、自分の思った結果にならないと、
「○○してあげたのに(あなたは思った結果を返してくれない)」と、
不満や、見返りを求める言葉が浮かんでくるようになるのだと思う。

愛は、本当に、ただ、与えるだけ。

せずにいられないから、するのであって、
相手に感謝も何も、見返りを期待する事はない。
『再生のスイッチは「ありがとう」の源です。
 破戒のスイッチは「ごめんなさい」の源です。』


これは、mixiのコミュニティで紹介されていた、
ある人の日記に書かれていた言葉です。



人には、再生と破壊の二つのスイッチがあって、
それを入れたり切ったりしながら生活をしている、と。

私は、スイッチは実はひとつで、
再生がONになると破壊がOFFになり、
再生がOFFになった時には、破壊がONになっている、
という感覚でとらえています。

『辛いこと、悲しいこと、切ないこと、空しいこと、嫌なこと、
 それらの出来事が破戒のスイッチを入れるんだ。
 そして破戒のスイッチが入ると、ストレスを生み出すんだ。』

と、続いています。
破壊モードに入ると、人を信じられなくなったり、自己嫌悪に陥ったり、
人によって、人や自分を攻撃していくようになってしまう…。
ようは、エゴでしょうか。

破壊のスイッチを切るには、再生のスイッチを入れる事です。

では、再生のスイッチって、何でしょう。

それは、愛することです。
愛って、何でしょう。
以前、私が定義した愛は、
「見返りを期待せず、ただ与える事。その意志、決意。目的は、相手の幸せ。」
…そんなに難しく考えなくても良いか。

ちょっと勇気がいるけど、
困っている人に気がついたら助けてみるとか、
ただ、笑顔で挨拶をするだけでも、良いと思います。

ちょっとでも、嬉しい、楽しい気持ちになれれば、
それでいいんじゃないかしら。



『宇宙の法則は円であり規則正しく平等なんだ。
 良いことも悪いことも自分の行動は円を描いて
 すべて自分に帰ってくるんだよ。』
『不真実と偽りとを私から遠ざけてください。
貧しさも富も私に与えず、
ただ、私に定められた分の食料で
私を養ってください。
私が食べ飽きて、あなたを否み、
「主とはだれだ。」と言わないために。
また、私が貧しくて、盗みをし、
私の神の御名を汚すことのないために。』


旧約聖書/箴言/30章アグルのことば



今回は、クリスマスっぽく聖書から。
旧約聖書だから、キリスト以前ですけど。


これ、仏教の『吾唯足知』と同じだなぁと。

いえ、仏教もほとんど知りはしないんですが^^;
ごく幼い頃から知っていた言葉のひとつです。

幼児の頃、近所のお寺で遊んで頂いたり、
色々お世話になっていたので、
その頃に聞いたのかもしれません。


人と比べる事、比べられる事が無ければ、
ただ、その環境の中で淡々と生きていける。
不平も不満も、不足も恐れも、何の捕らわれも無い。
質素で無駄が無く、ただ、満足や感謝のみ。
『人の自由の尺度は
どれだけのものが無くても済ませられるかにある』


今は物が溢れている時代です。
社会が、消費を過剰に促しています。

ふと周りを見渡すと、無理無駄ムラだらけ。

洗剤ひとつとっても、そう。
キッチン用、トイレ用、お風呂用…。
本当に、そんなに個別に必要なのでしょうか。

下手に洗剤を使うより、
重曹や酢を使った方が、
簡単に安全に綺麗に出来るのに。

無くてなならない、と思い込んでいるだけなのでは?

本当に必要なものだけあれば、充分。
いかに物を減らして生活していけるか。
思い込みを手放せば、自由になれる。
最新記事 :
リンク :
ブログ内検索 :
バーコード :
QRコード
アクセス解析 :
忍者ブログ [PR]
"No Name Ninja" WROTE ALL ARTICLES.
PRODUCED BY SHINOBI.JP @ SAMURAI FACTORY INC.