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人から頂いた言葉や、大切な言葉の保管場所。
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「ごめんなさい
 ありがとう」


前も書いたような気がするけれど、
やはり、お詫びと感謝が、鍵だと思う。

フクイチは、ある意味、奇跡だと言われているようです。
あの状況で、本来ならとっくに崩壊しているはずなのに、
なぜ、こんな状態で崩壊していないのか、分からないと。
ギリギリ、カタチを保ち、持ちこたえているのが、奇跡だと。

物質であろうと、そうでなくても、
ある立場においては、悪としか見えなくても、
あらゆる全てには、意識と意思があり、響きがある。

人間のエゴで、とんでもないものをうみだし、
さらに、意図的に手の付けようのない状態に
してしまっておきながら、
今まで、忌み嫌ってごめんなさい。

もっと酷い状況であるはずだったのに、
孤立無援で、持ちこたえてくれていたのに。

ずっと、耐えてくれて、ありがとう。

わたしの愛を、おくります。
私は未熟なので、使えるエネルギーとしては僅かだと思うけど、
上澄みの、使える部分だけでも、確かに届け!
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いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

  いわずと知れた「いろはうた」です。


いろはうたには、暗号が隠されているとか言いますね。
下の7音で区切って出てくる言葉
「咎なくて死す」は有名です。

いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす


他にも暗号がある、と色々研究されているみたいですが、
とりあえず、今回は、そのまんまの響きで十分。

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見し 醉ひもせず


どんな旨い話でも
どんなにお金や物や権力があっても、
今さら、そんな「物」に、酔えやしない。

木でたとえると、
花より葉が元、
葉より枝が元、
枝より幹が元、
だけど、見えてない根こそ、元。

根っこ知ってるのに、
枝を崇めろと言われても、ねぇ?
カタチは似てるかも知れないけど
働きや役割が全く話にならないほど違う。


一度、無を知ってしまうと、
もう有に執着しなくなる。

どっちも大事だけど、ムが先、ウが後。
ムからウ、ウ、ウ、ウ、ウと、沢山生まれ、
別々のようだけど、もともとの、ムはひとつ。

というか、本当は、ひっくるめて、ひとつ。

※わたしは、無と空は別と思っています。
 「無」:充満している
 「空」:スキがある



「快欲に落ちるのは、愛を知らないからなんじゃないの?」


朝、突然、降って沸いた言葉です。

ちなみに、快楽と我欲を合わせて、
勝手に快欲と呼んでいます。
ついでに、愛は、情などに囚われない状態の愛です。

私の思っている愛は、全てのため、包容力はあるものの、
ある面においては、情に囚われない為、
かなりシビアでクールな印象です。

尊かったはずなのに、堕落していたり、
創造の働きだったはずなのに、破壊にすり替わっていたり、
同じ呼び名なのに、中身が天国と地獄というか、
真逆になっているというか、
何で色んな分野でこんな事になっているんだろう、
などと、つらつらと考えていて、
ふと考えるのをやめた時に沸いて出た言葉です。

頭に響いてから時間が経った為、
実際には少し、表現が違ったかもしれません。

ただ、「愛」を「宇宙との一体感」とした方が、
分かりやすいのかもしれません。

「宇宙そのものでありながら、宇宙の一部」
という体験を一瞬でもすると、
全ての見方、感じ方、世界観などが変わってきます。
マクロからミクロへ移行するあの感覚もまた、衝撃的でした。
その体験があるか、無いかによって、
誘惑への耐性が違ってくるのかも。

とりあえず、忘れてしまう前に、メモしておきます。


「ことばを おもいうかべないように してごらん」



これは、幼少期、頭の中に聞こえてきた言葉です。

思い浮かべないようにって言われても、
水の中から浮かび上がる空気を押しとどめようとするようで、
大変難しいと感じた事を覚えています。


たまに、この言葉とこの体験を思い出します。


心ときたら、しょうもない言葉が
炭酸水のようにポコポコ沸き上がってきて、
きりがありません。


今日、ふと、また思い出して、
湧き上がるガスを沈めるように、
心の言葉を静めるようにしてみました。


すると、息を吐ききった後に息を止めたときのような
少し苦しい感じの底の方から、
喜びが染み出してしてきました。

どんどん膨れ上がり湧き上がる喜び。
胸から体中に響いて共鳴するような振動。

感謝と喜びが入り混じっている、
涙が出てくるような、幸せな感覚。


全く、何も言葉を心に発しない時、
心には歓喜があることに気付きました。
この状態を長く保ち続けることができれば、
ずっと歓喜が湧き出る感覚でした。


私は、日頃、しょうもない言葉を
制御する事無く、心に溢れさせ続けることで、
もともとある歓喜を締め出していたのかもしれません。

日本で生活をする事で、被爆する私たち。

呼吸をする、
水を飲む、
何かを食べる、
ここにいる、
ただ、それだけで、私たちは、どんどん被爆する。

昨日まで元気だった人が、朝、永遠に目を開かない。
いつものように、朝「いってらっしゃい」と送り出したのに、
もう二度と帰って来ない。
さっきまで、一緒にご飯を食べ、おしゃべりをしていた友人が、
ふと気がつくと、すでに息をしていない。

遠くで聞いていた噂が、波のように近づいてくる。

ひと事ではない。
いつ、私がそうなるかわからない。

被爆という名の時限爆弾をいつの間にか体に組み込まれ、
いつ突然来るかもしれない、死を意識する。

すると、今までと世界が違って見えるようになった。

カネとか名声とか
贅沢な食べ物や物質に、
何の意味があるだろう。

ただ、わたしたちの無関心が、世界をこんなに汚してしまった。
取り返しのつかない事をしてしまった、お詫びの気持ちがあふれてくる。

こんなときに残虐な絵を見せて、世界を戦争に駆り立てようと画策するが、
怒りや憎しみを煽られても、心を騒がす風にはならない。
脅しも、無意味。

わたしの肉の時限爆弾に気付いたことで、作られたフィルターが剥がれた。
各国の人々を操っている糸が見える。


あなたがたは、私の肉体を傷つけたり
殺すことはできるかも知れない。
でも、わたしの本質には触れることすらできない。

わたしの中心が、宇宙とつながった。
わたしの本質に、気がついた。
わたしは常に、宇宙そのもので、同時に全ての次元で存在している。

また、全ての存在が、本来そうであることに気がついた。
知識や想像では到達できない、宇宙とのつながり。
この感覚を体験すると、すべてはひとつ。


宇宙にあなたがたが存在できるのは、働きとしての、アクの為。
この働きゆえに、あなたは今まで、自由にふるまうことを許されてきた。
アクは働きとしてのあらわれであって、悪そのものではなかった。

あやまちに気付かせる為の、働きのあらわれ。
気付いて正すことで、終わる働き。

一段上がるために、
どちらもなくてなならない、真逆の働きだったことに気付いた。


神とかみの違いがはっきりした。
敵などいなかったことに気がついた。
あるのは、ただ、お詫びと感謝、そして、愛と感動だった。
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